人物 : 中山 美穂  一覧

人物説明

中山 美穂nakayama-miho

誕生日
1970年3月1日
出身地
東京都小金井市
血液型
O型
身長
158cm
スリーサイズ
B:82cm
W:59cm
H:86cm

概要

日本の女優、歌手。ビッグアップル所属。愛称は「ミポリン」。

作詞家として活動する際は「北山 瑞穂(きたやま みずほ)」と「一咲(いっさく)」というペンネームを使用していた時期もあった。

実妹は女優の中山忍。ほかに実母と義父との間に生まれた12歳下の弟がいる。

来歴

幼少期は長野や群馬に住んでいた。母親からは、中山が妹と長野の小さな町から上京した、とだけ聞かされていた。

戸籍に父親の名はなく、実父の記憶がかすかに残っている程度だった。自身の出生については他に何も聞かされたことはなく、聞こうとも思わなかったという。

小さい頃は内気で人見知りが強く、友達も居ないネクラな少女であった。テレビでキャンディーズの活躍を見て幼稚園の頃から芸能界に憧れ、歌手になりたいと思っていた。

小学4年の時に母親が再婚。再婚相手の義父は秋田県出身で、義父も歌手を目指して上京した人物であり、敏いとうとハッピー&ブルーに入る予定だったが、直前で辞め後で悔んでいたとのこと。

幼稚園は国分寺市の白鳥幼稚園。小学校は両親の転居に伴い、小金井市立前原小学校、小金井市立本町小学校、小金井市立緑小学校と移り、小金井市立緑中学校から板橋区立板橋第五中学校、その後東京都立北園高等学校に進学。

死去

2024年12月6日、この日大阪市のビルボードライブ大阪で行われる「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」を控え午前9時に品川駅で関係者と移動の待ち合わせをする予定となっていたが、本人は姿を見せず、電話にも応じなかった。

そのため関係者が知人とともに渋谷区内の自宅を訪れたところ、水が張られた浴槽の中に前かがみの状態で倒れている中山を発見した。

直ちに119番通報されたが、ドクターカーで駆けつけた医師によりその場で死亡が確認された。

54歳没。その後渋谷警察署による検視が行われ、家族も身元を確認したという。

先述のコンサートは中山の「体調不良」を理由として6日14時7分に公式サイト上で中止が発表されたが、この時点で中山は既に死去していた。

その僅か51分後(14時58分)にNHKが中山の訃報をニュースサイトとテレビの速報テロップで伝えた。

前日(12月5日)夜には自身のInstagramに投稿しており、事務所関係者が最後に連絡を取ったのは同日23時頃とされている。その後6日午前2時半ごろに中山からスタッフへ仕事に関するメールを送信したが、スタッフはすでに就寝しており、起床後にメールに気付き午前7時ごろに中山へLINEで返事を送ったが、既読になることはなかったという。

警視庁は入浴中の事故や病死の可能性があるとみて、8日に死因などを特定するための死因・身元特定法に基づく解剖を実施した。

その結果、目立った外傷は無く、事件性のない、入浴中の不慮の事故によるものと判断された。

葬儀は同月12日に妹の中山忍を喪主として家族葬が執り行われ、同日、火葬に付された。後日、お別れの会の実施を予定している。

前述のとおり映画などを通じて東アジアを中心とする海外でも人気を集めていたことから、韓国や中国大陸、香港、台湾、アメリカ、イギリス、フランスのメディアも相次いで訃報を報じた。

アイドル / 女優として

デビュー後は無条件に愛してくれるファンの存在が愛おしく、当初ファンレターには全て返事を書いていた。ある女の子とは文通もしたという。

ドラマや歌番組よりも、そうしたファンの反応が直接伝わるライブは特別なものだと語っている。

デビュー後瞬く間にトップアイドルとなり、ドラマに歌番組、映画と多忙を極めた。

音楽性

1985年に『「C」』でアイドル歌手としてデビュー。この時点から、中山とスタッフが一緒になって中山美穂の将来像を作っていこうという方針で、アイドルのプロデュースにおける、オーソドックスないわゆるスター・システムとは違う形でスタートしている。

デビューから数年は松本隆・筒美京平のコンビによるシングルが多く、ディスコやアッパーなユーロビートを取り入れた作品がヒットした。

『ツイてるねノッてるね』は数ある筒美作品の中でも最高に攻撃的なノリを持った楽曲とされ、『WAKU WAKUさせて』は筒美流ダンス・ナンバーの最高傑作との評価がある。

中山と同時期に斉藤由貴の作品にも関わった松本隆は、文学少女的雰囲気の斉藤に対し、中山はザ・歌謡曲テイストで、というのはあったかもしれないと語っている。

松本・筒美の王道路線の他にも、角松敏生・久保田利伸・小室哲哉など若手の新進気鋭のアーティストの作品提供を受けており、ブラック・コンテンポラリー的なビート感を取り入れた楽曲と、しっとりと女性の気持ちを伝える楽曲との2通りの作品を展開した。

サウンド面でも、それまでのアイドルの保守本流とは全く違うスタンスでアイドルシーンの先陣を切って走り続け、80年代後半では1、2を争うアイドル・シンガーとなった。

タグで探す

タグ一覧

人物で探す

人物一覧